【読書の記録】『小説』野崎まど

はじめに

2024年11月20日に発売した野崎まどの『小説』を読了したので感想を書きます。

本作を読んだ経緯

一月程前には作品の情報が出ていたので、発売直後に読もうと決めていた。野崎まどの作品が大好きなので。

直近に『夢の樹が接げたなら』(森岡浩之)、『サリエリはクラスメイトを二度殺す』(額賀澪)、百年シリーズ(森博嗣)とこってりした作品を読んでいたので若干胃もたれしつつも、「野崎まどのライトな文体であれば読めるだろう」という思いで読み始めた。

野崎まど作品について

僕は野崎まどの作品が好きだ。どの作品も命題がはっきりしていて、終盤にその命題に対する登場人物の(あるいは作者自身の)出した答えが必ず提示されるからだ。非常に誠実だと思う。

例えば、デビュー作『[映]アムリタ』から連なるシリーズは「創作とは」を命題に置き、ジャンルも様々なシリーズ6作品を通してその答えをひたすらに追求する物語になっている。

また、『タイタン』では科学技術の発達に伴い労働力がほぼAIと機械に代替された世界を舞台に、人間である主人公と仕事鬱になったAIとが「仕事とは」の答えを探して旅をし、そして彼らなりの答えに辿り着くまでの過程が描かれている。

これらの作品で提示される答えは必ずしも万人に受け入れられる答えではないかもしれないが、それは問題にはならない。誰かがその命題について考え抜いてその答えを出したという事実と、それを自分の中で解釈できることの喜びが感じられる作品群。それが野崎まど作品だと僕は思う。

本作の感想

端的に感想をまとめると、この本を読めて本当に良かった、そう思える一冊だった。

これを読ませてくれてありがとう、これを書いてくれてありがとう、物語中盤以降を読んでいる間ずっとそんな想いが湧き出ていた。

軽くあらすじを説明する。小説を愛する主人公・内海集司とその唯一無二の友人・外崎真、そして二人が日々入り浸る家(通称モジャ屋敷)の主で小説家の髭先生の3人がメインの登場人物になる。彼らの人生は常に小説と共にあり、小説を軸に彼らの物語は当初想像もしなかった方向へ進んでいく。
命題は当然、「小説とは」。

作中に出てきた好きな文章を一つ紹介する。

小説を沢山読んでも、虚構をどれほど溜め込んでも、それだけでは何の価値も認められはしないのだ。現実で何かを為さない限り。

引用:野崎まど『小説』講談社 Kindle版 p.92

とても刺さる。(ネタバレになるので、これがどういう文脈で産み落とされた文章なのかは伏せる)

僕は人よりは小説を読む人間なので、よく人に「小説を書きはしないのか?」と聞かれる。その度に「僕は読むのが好きなのであって、書くことにはあまり興味がない」と答えている。だが、本当のところは違う。書きたい気持ちはあったし、実際に書いたこともあった。にも関わらず「書くことには興味がない」と偽っている。

創作の界隈に「生む苦しみ」という言葉がある。「どんなに華やかに見える作品でも、苦しみを伴って生み出されている」といった意図の言葉だ。

僕はこの「生む苦しみ」から逃げてきた。書きたいけれど苦しみたくない。だから「書くことに興味がない」と答えて、自己暗示をかける。だからこそ、その弱い部分にこの文脈が突き刺さった。

僕は内海集司とも外崎真とも違う形で、小説に対しての苦悩を抱えていた。それでも彼らが辿り着いた答えに心を動かされたし、「小説とは」に対する自分なりの落とし所を見つけられた。

この作品を読んで「書きたい、書こう」という気持ちになれた。書けない内海集司と、書けてしまう外崎真の苦悩の様子を見ていると、自然とそう思った。

本当に、この作品を読めて良かった。

タイトルとURLをコピーしました